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名島地区への移転

翌33年9月、福岡の戦災復興土地区画整理に当り、本会はその土地建物の三分の一を削られることになりました。止むなく翌34年8月、会館及び寮の改築をいましたが、辛うじて本会の活動を維持できる状態でした。この頃、渡辺通の地は既に市の中心部となり、本会会館及び学生寮の所在地として必ずしも適当ではなくなり、また土地建物共に狭隘となり、このまま本会の活動を続けていくことは困難となってしまいました。
 当時、会員の間からは、渡辺通の土地を売却し、その代金で新たに適当な地へと移転改築しようとの議論が起っていました。幸いに昭和43年(1968年)9月、当地出身者の有力者の御尽力により土地の売却も出来、市内名島の九州電力旧グラウンドの一角に約870坪の土地を譲り受け、九大建築学の青木博士の指導の下にメイ建築研究所の設計、株式会社高松組の施工により、会館及び寮(学生24名、卒業生6名を収容し得る)とも合わせて約400坪の鉄筋コンクリートの建築竣成できました。昭和44年8月中旬に移転いいたしました。急激に人口の増加しつつある名島以東の地に従来仏教関係の建造物が皆無の状態にあったのに鑑み、本会館及び寮を一拠点として、地域市民の皆様に親しまれつつ、仏教精神の自覚と普及浸透を図るために特段の活動を展開していくことにいたりました。



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