大正10年(1921年)6月6日社団法人に認可されました。このように本会事業も漸く軌道に乗るに従い、その活動の源泉ともなるべき会館及び寮の必要性が痛感されてきました。旭会長を初め会員一同前後五年にわたる努力と大方の支援とにより、大正15年(1926年)3月福岡市今泉町(現渡辺通四丁目)に会館及び学生寮が建設され、ついで卒業生の独身寮も附設されました。会の一切の事業はここで行われ、ここが会員の中心道場となりました。
同年11月21日には附属中央日曜学校が開かれ、児童の宗教的情操教育に力が尽くされました。昭和2年(1927年)10月3日には法律扶助部(Legal Aid)を開設し、人間の正当な権利の保護と義務の自覚とを促す活動がはじまりました。法律扶助部の開設によって、本会の実行機関はほぼ完備されました。そしてそれぞれの部が、緊密な提携の下に活動し、仏教青年会としての総合的機能を発揮していきました。このように、着々発展してきた本会の活動は、その時代の社会的情勢その他の事情により、時に盛衰はありましたが、本会の事業とその精神は変わることなく受け継がれ、戦中戦後の混乱にもめげず、一早く立ち直ることができました。
同年11月21日には附属中央日曜学校が開かれ、児童の宗教的情操教育に力が尽くされました。昭和2年(1927年)10月3日には法律扶助部(Legal Aid)を開設し、人間の正当な権利の保護と義務の自覚とを促す活動がはじまりました。法律扶助部の開設によって、本会の実行機関はほぼ完備されました。そしてそれぞれの部が、緊密な提携の下に活動し、仏教青年会としての総合的機能を発揮していきました。このように、着々発展してきた本会の活動は、その時代の社会的情勢その他の事情により、時に盛衰はありましたが、本会の事業とその精神は変わることなく受け継がれ、戦中戦後の混乱にもめげず、一早く立ち直ることができました。
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