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仏青の昔

2015年02月20日
仏青はもうすぐ110周年。大正時代から続く仏青の歴史を是非一読してください。

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新天地での活動

2015年02月19日
こうして名島の地(現在千早に地名変更)に本拠を移した本会は、地域からの要望に応え、診療部は夜間診療、無料健康相談を通じ地域住民の健康衛生の向上に努めました。また、宮崎県日之影町への無医村巡回検診も好評を博しました。さらに、日曜学校は地元子供会との密接な連絡の下、一学年に20名の卒業生を送り出すに至りました。また法律扶助部は、県内のみならず、県外からも遠路多数の相談者が訪れ、法律に日常接することの少ない民間の拠り所としての役割を果しました

九大仏青クリニックの開院

2015年02月19日
しかしながら、時代の変遷は激しく、1960年代の学生運動は、この本会をも例外とすることなくその余波の中に巻き込むこととなりました。以後、社会状況は急速に変化を遂げ、本会の行う奉仕活動がともすれば時代の要求と合致しなくなりつつありました。また学生気質の変貌も同様であり、年々学生数は減少を続け、本会の存亡も危ぶまれることになります。
 そのころ建築後16年を経た寮建物の老朽化がすすみ、改修工事の必要性が取り沙汰されていました。時を同じくして本会の将来の展望、時代に即した活動を模索する動きが興りました。ついに総会にて決議がなされ、本会は、診療所「九大仏青クリニック」を出発させることとなり、初代院長に本会O.B.でもある山中正義氏(医学博士、昭和37年卒)を迎え、昭和61年(1986年)12月に開院の運びとなりました。
 この「九大仏青クリニック」は、従来の仏青の診療所の伝統をそのまま受け継ぎ、医療の理想と仏教の精神を求めて歩んでゆかんとするものです。つまり、本クリニックは、最新の医療設備を備えた診療所であると同時に、他の諸病院のモデルとなり得る様な、地域社会に開かれ奉仕の精神に貫かれた病院経営の展開をその目標としています。また、本クリニックの収益を、会の種々の奉仕活動の資金に充て、時代と社会の新たな要求に対応した活動、本会ならではのユニークなボランティア活動(=主体の本意から自発的におこる奉仕活動)の育成を計ることが本クリニック開設の狙いです。

仏青寮のはじまり

2015年02月19日
大正10年(1921年)6月6日社団法人に認可されました。このように本会事業も漸く軌道に乗るに従い、その活動の源泉ともなるべき会館及び寮の必要性が痛感されてきました。旭会長を初め会員一同前後五年にわたる努力と大方の支援とにより、大正15年(1926年)3月福岡市今泉町(現渡辺通四丁目)に会館及び学生寮が建設され、ついで卒業生の独身寮も附設されました。会の一切の事業はここで行われ、ここが会員の中心道場となりました。
 同年11月21日には附属中央日曜学校が開かれ、児童の宗教的情操教育に力が尽くされました。昭和2年(1927年)10月3日には法律扶助部(Legal Aid)を開設し、人間の正当な権利の保護と義務の自覚とを促す活動がはじまりました。法律扶助部の開設によって、本会の実行機関はほぼ完備されました。そしてそれぞれの部が、緊密な提携の下に活動し、仏教青年会としての総合的機能を発揮していきました。このように、着々発展してきた本会の活動は、その時代の社会的情勢その他の事情により、時に盛衰はありましたが、本会の事業とその精神は変わることなく受け継がれ、戦中戦後の混乱にもめげず、一早く立ち直ることができました。

戦後の復興

2015年02月19日
昭和22年(1947年)11月1日学制改革に伴い、本会も九州大学仏教青年会と改称しました。翌23年12月には社会事業法による事業施設としても認められ、施療院を診療部と改め、広く一般に開放すると共に、低所得者には医療費の減免を行い、無料健康相談日も設けました。また暑中休暇を利用して無医村、準無医村への巡回診療や癌の集団検診を行うなど、僻村住民の健康や予防医学の方面にも力を注いできました。一方、法律扶助部や日曜学校の方も鋭意再建に努めてきました。九州大学仏教青年会は、全国の仏教青年会の中で、仏教精神に基づく唯一の社会事業団体として認められるに至りました。昭和32年(1957年)5月19日、創立五十周年の記念式典が挙行され、本会は新しい飛躍の時に入った感がありました。

名島地区への移転

2015年02月19日
翌33年9月、福岡の戦災復興土地区画整理に当り、本会はその土地建物の三分の一を削られることになりました。止むなく翌34年8月、会館及び寮の改築をいましたが、辛うじて本会の活動を維持できる状態でした。この頃、渡辺通の地は既に市の中心部となり、本会会館及び学生寮の所在地として必ずしも適当ではなくなり、また土地建物共に狭隘となり、このまま本会の活動を続けていくことは困難となってしまいました。
 当時、会員の間からは、渡辺通の土地を売却し、その代金で新たに適当な地へと移転改築しようとの議論が起っていました。幸いに昭和43年(1968年)9月、当地出身者の有力者の御尽力により土地の売却も出来、市内名島の九州電力旧グラウンドの一角に約870坪の土地を譲り受け、九大建築学の青木博士の指導の下にメイ建築研究所の設計、株式会社高松組の施工により、会館及び寮(学生24名、卒業生6名を収容し得る)とも合わせて約400坪の鉄筋コンクリートの建築竣成できました。昭和44年8月中旬に移転いいたしました。急激に人口の増加しつつある名島以東の地に従来仏教関係の建造物が皆無の状態にあったのに鑑み、本会館及び寮を一拠点として、地域市民の皆様に親しまれつつ、仏教精神の自覚と普及浸透を図るために特段の活動を展開していくことにいたりました。

施療院の開設

2015年02月19日
 大正7年(1918年)医学部皮膚科教授旭憲吉博士が会長に推されるや、博士は鋭意会の発展に努力されました。同年8月31日博多承天寺内祥勝院に於いて施療院を開設し、自ら診療に当り会員を督励せられたので、この成果大いに上りました。仏陀の慈悲の光は普く低所得者、困窮者の上にも輝くに至りました。

九大仏青の設立

2015年02月19日
九州大学仏教青年会は明治40年(1907年)5月19日(旧暦4月8日=釈尊の降誕日)東中洲共進館において創立発会式を挙げたのに始まります。当時、九州大学は京都帝国大学福岡医科大学といっていましたので、仏青も京都帝国大学福岡医科大学仏教青年会と称しました。主として医科大学内の学生、看護婦、教職員、そして患者の間に、仏教精神に基づき、宗派に偏らず、仏教の妙理を会得し心の据(すわり)をつけさすことを目的としていました。明治44年(1911年)学制改革に伴い、京都帝国大学福岡医科大学が九州帝国大学となったのにあわせ、九州帝国大学仏教青年会と改称した。大正6年10月博多万行寺における九大医学部主催の解剖祭の後で、本会主催、看護婦若葉会協賛の動物慰霊祭が行われました。